ティカル
グァテマラ北部のペテン地方の森林の奥深く眠るティカル遺跡はマヤ文明、特に古典期マヤを代表する都市だ。勾配の急な階段がつくタワー形の神殿群が立ち並ぶ巨大都市に、8世紀の全盛期には6万ほどもの人口があつまっていた。ティカルの歴史は紀元前4世紀に遡る。記録に残っているティカル王朝の歴史は紀元1世紀頃から始まり、以後約800年にわたって、33人の王が確認されている。ティカルの歴史に関して何かと問題になるのが碑文に残る378年の「事件」と呼ばれるもので、シヤフ・カックと呼ばれるテオティワカンから来た人物に「征服」されたと考える説と、テオティワカンとの様々な政治的・文化的交流はあったものの、「支配」された証拠はないとする説とが対立している。ティカルの土器には1000キロも離れたテオティワカンの様式の建物から女・子どもに見送られて出発したテオティワカン風の装束の人物がマヤ風の建物のある場所に赴いてマヤ風の装束の人物と対峙している絵が残っている。これを軍事的侵略の記録とみるか、交流とみるかで意見が分かれているようだ。いずれにしても、この後もティカルは拡大・繁栄を続けるが、6世紀半ばに王朝史が途絶え、一時歴史の表舞台から姿を消す。ベリーズに残る都市カラコルとの抗争に破れたから、あるいはメキシコチアパス州に残る強大な都市カラクムルの支配下に入ったためなど諸説あるようだが、7世紀半ばには復興し、大規模な建造物を次々に建築、8世紀にはその繁栄の頂点に達する。宿敵カラクムルにも勝利し、これをもってカラクムルは歴史記録から消える。ティカルは9世紀に入ると再び衰退の道をたどり、889年を最後に記録が絶え、放棄されている。滅亡の原因には諸説あるが、都市が巨大化しすぎて、周囲の環境破壊も進み、維持できなくなったことも大きな要因ではないかと考えられているようだ。2001年に訪れた際には遺跡の敷地内にあるロッジに宿泊した。遺跡の中心部まで歩いてすぐの距離で、夕方遅くまで(日が暮れるまで)遺跡内にとどまれるため、5時に閉まってしまうメキシコの遺跡では得られない臨場感が味わえた。 |