COPAN
コパン

マヤ文明で最も東の外れに位置するホンジュラスのコパンは、マヤで最も水準の高い石彫美術が花開いた都だ。「高浮彫り」とよばれる彫りの深いレリーフは他の都市ではみられないもので、ほとんど立体彫刻といっていいものになっている。立像とセットになって置かれている祭壇類も創意に富んだ独特な形状のものが多い。他に際立った建造物として、「神聖文字の階段」がある。高さ21メートルの階段に合計2200の文字が刻まれている。コパン王朝史を刻んだマヤ世界で最も長い碑文だ。また、神殿16の下からは古い神殿であるマルガリータ、ロサリラの二つの神殿が発見され、往時の姿そのままの美しく彩色されたレリーフ、深紅に塗られた女性の遺骨が収められた石室などが現れた。
コパンには数多くの碑文が残っているため、王朝史がかなり詳しくわかっている。初代の王はキニチ・ヤシュ・クック・モ(偉大な太陽、最初のケツァル・コンゴウインコ)という名の人物だ。426年、どこかコパンから遠く離れた場所で即位儀礼を行った後、「コパンに到着」したことになっており、この者がどこから来たのかは未だ論争の的らしい。祭壇Qにはテオティワカン起源のゴーグルのようなものをつけている姿が描かれていることや、同時代の初期の建造物がやはりテオティワカン風の様式であることなどから、テオティワカンから来た人物であるという説、ティカルから来たとみる説などがある。コパンは6世紀末くらいから繁栄のピークを迎え、695年から738年に在位した王ワシャクラフーン・ウバーフ・カウィールの元で、現在残る数多くの石碑、建造物がつくられる。しかし、この王が近郊の都市キリグアに捕らえられ、斬首されたことから急速に衰えてゆき、王家の権威も弱体化していく。最後は一種の集団指導体制のような形になり、822年に即位した17代の王を最後に滅びたとみられている。


Inner Chamber of temple 22
神殿22の入り口

Hieroglyphic Stairway
神聖文字の階段

 

Hieroglyphic Stairway, Stela M
神聖文字の階段と石碑M

Hieroglyphic Stairway
神聖文字の階段
Hieroglyphic Stairway
神聖文字の階段
The Ball Court
球技場
The Ball Court
球技場
Temple 11 south side
神殿11の南面

Temple 11 south side
神殿11の南面の彫像

 

Altar Q
祭壇Q
Stela P
石碑P

Temple 11
神殿11

Stela N
石碑N
Altar N
祭壇N
Stela 1
石碑1
Corner masks of Structure 10L-22
ウィッツ・モンスター

Great Plaza
大広場

Stela H
石碑H

 

Stela H
石碑H

 

Stela H
石碑H

 

 

 

 

 

 

 

Stela H
石碑H

Stela F
石碑F

Altar F
祭壇F

Alter G1
祭壇G1

Stela C
石碑C

Stela C
石碑C

Altar C
祭壇C

Stela D
石碑D

Stela 4, Alter Y, Stela B
石碑4、祭壇Y、石碑B

Stela 4
石碑4

Stela B
石碑B

 

Stela B
石碑B

Stela B
石碑B
Alter Y
祭壇Y
Alter D
祭壇D
Stela A (replica)
石碑A(複製)

Architectural Ornament

 

 

Altar with Inscriptions

 

 

House of the Bacabs