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Callanish
Stone Circles and Stone Rows
Isle of Lewis, Outer Hebrides
NB 213 330

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中心から北に延びるアヴェニュー。約80mほど続いていて、遺跡全体を十字架形に見立てると、下にのびる縦軸部分に相当する。この独特な形とその意味については、非常に興味深い話がある。紀元前のギリシアの学者がこの遺跡について言及していた可能性があるというのだ。それはギリシア時代の様々な書物に登場するヒュペルボレオイという北の果ての国に関する話だ。紀元前55年に歴史家ディオドロスはヒュペルボレオイは、ケルト人が住む地よりさらに北の海にあり、シチリア島より大きい島で、アポロンに捧げた巨大な石囲いと円形の神殿がある、とし、この島では「月は地平線のすぐ上を動いていく」と記している。また、「春分の日からプレアデス星団が昇る時期まで、月は住民の弾くチターの調べに乗って踊り続ける」、「神は19年に1度島を訪れる」とも書いている。
この「島」をブリテン島と考える人が少なからずいたようだ。確かにケルト人が住んでいたヨーロッパよりさらに北の大きな島というと、それらしく思われる。「巨大な石囲い」はストーンサークルのようだし、「円形の神殿」をストーンヘンジと考える人もいたようだが、ストーンヘンジの緯度では、月が地平線のすぐ上を水平に移動するということはない。だが、カラニッシュではまさに、18・6年=約19年に一度月が最も南に沈むとき、南北に延びるアヴェニューに沿って、地平線のすぐ上を水平に移動していくという。また、カラニッシュの石の配置には、メジャー・スタンドスティルの年の月が最も北から昇る方角、最も南に沈む方角と一致するものがある。さらに、サークルから東西に延びた石の列のうち西に延びたものは、春(秋)分の日没点に向かって伸び、東北東に延びた腕は石の列が造られたと見られる紀元前1700年頃にプレアデス星団が昇った方角に合っているという見方もある。
数学者であり天文学者でもあったエラトステネスはヒュペルボレオイの神殿には「翼がついている」と、書いており、これを東西に延びた石の列のことではないかと考える者もいる。巨石の時代とギリシア時代ではいかにも時間的隔たりがあり、なんとも不思議な話だが、ディオドロスが記した島はルイス島にちがいないと考える人は少なくないようだ。
この地に残る伝説の一つに、遺跡は南方から来た巨人が造ったもので、夏至の日には「光輝く者」が「アヴェニューを歩いた」というものがあるという。